聖書のみことば
2022年12月
  12月4日 12月11日 12月18日 12月25日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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■音声でお聞きになる方は

12月18日主日礼拝音声

 飼い葉桶の中に
2022年12月第3主日礼拝 12月18日 
 
宍戸俊介牧師 

聖書/ルカによる福音書 第2章1〜7節

<1節>そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。<2節>これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。<3節>人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。<4節>ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。<5節>身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。<6節>ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、<7節>初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

 ただ今、ルカによる福音書2章1節から7節までを、ご一緒にお聞きしました。1節2節に「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である」とあります。
 「そのころ」と始まっていますが、これは一体、いつの時のことを言っているのでしょうか。前の方を遡って読みますと、1章5節に「ユダヤの王ヘロデの時代」と言われています。従って、「そのころ」というのは、ヘロデがユダヤの国を治めた時代ということになります。この時代、ユダヤはローマ帝国の属国でした。従ってヘロデの上にユダヤを含むシリア方面を統括して支配する地方総督としてキリニウスがおり、更に帝国全体の皇帝はアウグストゥスでした。クリスマスの記事の書き出しには、そのように、ヘロデ、キリニウス、アウグストゥスという、当時のユダヤを三重に支配していた支配者たちの名前が揃って出てきます。この福音書を著したルカは、古代の歴史家でした。こういう書き方でルカは、クリスマスの出来事が決して美しいおとぎ話や神話や民話のようなものではなくて、歴史の中で確かに起こった事実であることを述べています。クリスマスの出来事は、決して心温まるエピソードのようなことではなくて、現代を生きている私たちにもつながる歴史上の重大な事柄であると言おうとしているのです。

 もっともここに名前が出ているアウグストゥスやキリニウスにとって、クリスマスの出来事はそんなに重大なこととは思わなかったでしょう。当時の世界を動かす統治者や政治家であった彼らにしてみれば、大きな歴史の動いてゆく中で、ベツレヘムの一軒の宿屋の家畜小屋で起きていることなど、果たして耳に入ったかどうかも疑わしいのですが、たとえ耳に入っていたとしても、まことに些細なうたかたの出来事ぐらいにしか思わなかったことでしょう。まさかこの出来事が、2000年以上も経った今日も尚、語り伝えられることになるとは夢にも思わなかったに違いありません。
 彼ら自身は、そんなことよりもはるかに重大なことを行っているつもりでいました。「住民登録をせよ」との勅令が皇帝アウグストゥスから出され、総督キリニウスがそのことのお触れを出します。これは言ってみれば、住民基本台帳を整える作業でした。この台帳に従って人頭税を取り立て、兵士を徴兵し、帝国内の街道を作る労役に人々を駆り出そうとしたのです。登録は、その全ての基礎となる作業でした。皇帝アウグストゥスは、この政策によってローマ帝国に強い軍隊を整えてゆきます。そして、今日でも世界史の中でパックス・ロマーナ、即ち「ローマの平和」と呼ばれる戦争の少ない時代を造り出すことに成功します。しかし、それは「平和」と呼ばれていますけれども、中身は力づくの統治であり、暴力の前に人々をひざまずかせる行いでした。ローマの平和は暴力の時代です。アウグストゥスに限らず歴代のローマ皇帝たちは、軍事力にモノを言わせて人々を屈服させ、自分を神として拝むことを帝国内の人々に強要するようにもなります。後の時代になりますが、ペトロやパウロを初めとした使徒たちのほとんどは、ローマ皇帝を神として拝まなかったことを理由に捕らえられ、殉教の死を遂げていったのでした。
 「平和を生み出す」と言いながら、権力者はしばしば暴力に依り頼もうとします。力ずくで相手を打倒し、滅ぼすことで、自分の望む平和が訪れると錯覚します。今の時代もそうですが、くり返し歴史の中に起こることは、平和を語りながら暴力が振るわれるという出来事です。そこでは、平和の名の下に、想像もできなかったような恐ろしい破壊が起こり、本当に大勢の人々が傷つき、命を失ってゆくのです。この点は、2000年以上の時間が経っても、あまり変わりないように思えます。2000年昔も今も、人間は賢くなることができずにいます。
 しかし、そういう地上のありさまに、私たち人間以上に深く御心を痛め、そして行動を起こして下さる方がいらっしゃいます。この方は天上で天使に囲まれて、ご自身だけで美しく楽しい時を過ごしておられるのではありません。地上の人間たちの悲惨なあり様をご覧になり、そのただ中へと降って来て下さいます。クリスマスの出来事、即ち、御子の誕生の出来事は、神が私たちのために行って下さった決定的に重大な始まりの出来事です。一つの歴史がここに始まるのです。御子主イエス・キリストがこの世に降って来て下さり、私たちの間に宿り、「あなたと一緒に生きてあげよう」と御言を親しく掛けて下さる、その歴史の始まりがクリスマスの出来事です。私たちは今日、そのクリスマスを目前にしている主の日を過ごしています。ベツレヘムで起こった出来事を聖書から聞きながら、私たちのために起ころうとしている一つの歴史の始まりに思いを潜めて聞き入りたいのです。

 ローマ皇帝から勅令が出て、キリニウス以下、ローマの当局者たちがその勅令に従うように人々を促します。当局者たちにせき立てられるようにして、人々は皆、自分の本籍地へと帰ってゆき、そこで登録をします。中にはヨセフのように、先祖の土地から遠く離れた場所で生活している人々も少なくありません。そういう人は、今いる町や村の役所に届け出れば良いのではなく、元々の部族の一員として数えてもらうために長い旅をしなくてはなりませんでした。そもそも当時は今日のような市民生活を保護するための役場などなかったからです。
 ヨセフは身重の妻マリアを伴い、ガリラヤのナザレの村を出てベツレヘムへと向かいました。3節に記されているのは、そんな消息です。3節4節に「人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」とあります。この記事を読みますと、ユダヤの人たちは非常に従順に皇帝の勅令に従って行動したような印象を受けます。皇帝の意向に従って整然と人々が移動し登録が行われたかのように感じられます。
 しかし、現実にはそれ程スムーズであった筈はありません。突如として出されたこの住民登録のお触れは、これを聞かされ従わされる人々にとっては迷惑なもので、それぞれの予定を考慮に入れていない乱暴なものでした。ですから、民の間に、迷惑する者も反発する者もいたに違いないのです。そういうことは、しかし、ここには触れられません。聖書が記そうとするのは、人間の命令に対して人間が何を思ったか、またどう行動したかということではなく、神の御心と行動だからです。
 国中が混乱し、ごった返している中で、神は一組の夫婦、一つの家庭をお選びになり、御自身の歴史の宿り場として下さいます。

 母マリアはこの時、すでに臨月になろうとしていました。その状態で長い旅をすることには、当然危険が伴ったに違いありません。けれども、神がその旅路を導き守って下さいました。マリアは旅の途中で出産したのではありません。旅の目的地であるベツレヘムに到着し、登録も済ませたところで産気づきました。これは決して、たまたまそうなったのではありません。神の保護の御手が置かれて、事情がそんな風になっています。
 ところが私たちは、状況が上手く運ぶ時には、そこに神の御手が働いているとは、減多に考えません。そうなるのが当然のことであるように思ったり、たまたま自然にそうなっただけだと考えたりします。しかし、6節と7節に述べられている出来事の上には、間違いなく神の顧みがあり、神の保護の御手が働いて、こうなっているのです。6節7節に「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあります。
 登録を終えた彼らが、まだベツレヘムにいるうちに、マリアの月が満ちたことを聖書は語っています。いよいよお腹が大きくなり、長旅を経てガリラヤ地方の山道を登ることが無理であったため、数日ベツレヘムで過ごしたのかも知れません。いずれにせよ、旅の途中ではなくて、ベツレヘムでマリアは初めての出産に臨みます。
 その際、出産場所とされたのは、牛や羊のいる家畜小屋でした。「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」と言われているとおりです。生まれたばかりの嬰児が飼い葉桶の中に寝かされたのは、そこに飼い葉のワラを敷き詰めると、丁度 嬰児の背丈に合う即席のベッドとなったからでしょう。またこの嬰児が包まれた布について、これが家畜小屋の片隅にあった、あり合わせのぼろ布のようなものであるという説明を聞いたことがありますが、元々の聖書では産着を表す柔らかな布という文字が記されています。当時の宿屋は、特に庶民の泊まる宿は、客同士が同じ座敷で雑魚寝をするような木賃宿でした。そこには産着のような気の利いたものは用意されていません。嬰児の主イエスを包んだ布は、両親がナザレからの長旅にもかかわらず用意して携えてきたに違いないものなのです。いつ使うことになるかまでは分からなくても、いずれ必ず必要になると考えて、旅の荷物の一番底のところに大切にしまって持ち運んできた用意が、このところで用いられ使われています。それが「布にくるんで飼い葉桶に寝か」された嬰児の、最初の産着でありオムツになったのでした。

 この誕生が宿屋の部屋ではなく、家畜小屋で起こったことについては、これが世の中を生きる上で経験させられる冷淡さの表れであると説明される場合があります。「主イエスは人間が皆、自分のことに忙しく過ごしていて、他の人々や社会的弱者のことを思いやろうとしない世界の中にお生まれになった。そのことは最初のクリスマスの日に、ヨセフ、マリアと嬰児の主イエスに場所が提供されなかったことに表れている。そのためクリスマスは馬小屋で起こったのだ」と説明されるのです。
 けれども、ここに使われている文字に注意してみたいのです。7節のところで「宿屋」と訳されている文字は、実際には、「部屋」とか「座敷」を表す言葉が使われています。たとえば、この同じ言葉がマルコによる福音書14章14節にも使われるのですが、そこでは「部屋」と訳されています。「宿屋に、マリアたちの泊まれる場所がなかった」というのと、「部屋の中に、出産に適した場所がなかった」というのとでは、全く印象が違ってしまいます。というのも、当時の宿は木賃宿であり、泊まる部屋には他の旅人も大勢いたに違いないからです。人目のあるところでは出産はできませんので、宿屋は特に、ふだん他の客が立ち入らない場所として家畜小屋に臨時の出産場所を設けて、安心して出産できるように手配してくれたと解釈できます。すると、この嬰児誕生の場面は、人々が関心を払わない中、冷淡さの中で生じた出来事ではなくて、むしろ、色々な差し障りは確かにあるけれども、それでもその時の状況下で精一杯に、嬰児と母体に配慮した中に主イエスがお生まれになった出来事だと受け止め直すこともできるのです。

 新聞記事の第一面に載るような大きな歴史の動きとしては住民登録が行われ、為政者が着々と軍備を整えて、戦争のできる方向へと世の中を動かそうとしている時代でした。けれども、そういうキナ臭さを感じさせるような時代のただ中にあって、神はもう一つの歴史を確かに起こして下さっているのです。ローマ帝国の力による平和、力づくの平和ということが声高に叫ばれ、人間の権利や弱い者たちへの福祉が後回しにされてゆくような時代のただ中で、神は、別の平和を地上に持ち運ぼうとして下さいます。
 そこでは、権力やこの世の富める者たちが恩恵を施すのではなくて、貧しい者たち、社会の中でとりたてて注目もされないような人々が自分の置かれている状況の中で懸命に知恵を出し合い、今できることを精一杯に果たしながら、神がもたらしてくださる平和の道具として働いています。マリアもヨセフも、また2人を泊めた宿屋の主人も、神の御計画の内に用いられて、神のもたらしてくださる平和のために仕える働き人とされているのです。

 思えば、今この時代に生きる私たちの間にも、このようにして、銘々に与えられている今日の務めに真剣に向き合い、一生懸命に役目を果たそうとしている無数の人たちがいるのではないでしょうか。そういう働きの一つ一つは、世の常のこととして見過ごしにされ、とりたてて光を当てられることもないかも知れません。
けれども神は、そのような、皆で生きてゆくための営みの一つ一つを御存知であり、その働きを、世界が先へ先へと続いてゆくために必要なこととして用いて下さるのです。

 そのような人間の奉仕が用いられて、御子イエス・キリストもこの世にお生まれになり、最初の産声をあげられました。そのことに、世の大方の人たちは気づかなかったとしても、私たちは今日の言葉に耳をそばだてたいのです。
神のなさる平和をきたらせる大きな御業の中で、私たちの小さな手の業も、私たちのささげる賛美も祈りも憶えられ、持ち運ばれることを知って、感謝し喜んで生活する者とされたいのです。

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